お知らせ
気仙沼「冬のほっこりコンサート」ツアー_第2日
- 2015.12.3
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小雨模様の今朝は、気仙沼市松崎地区にある牧沢きぼう保育所にうかがいました。この保育所はもともと港のそばにあったのですが、震災の津波ですっかり流されてしまいました。当時の園児は避難して無事でしたが、その避難所自体が浸水と火災で孤立し、人びとはヘリコプターで救出されたそうです。その後、ユニセフからの援助を受け、園舎は現在の場所に再建されました。
今回のコンサートは復興支援センターオリーブの千葉さんにご縁をつないでいただき、実現する運びとなりました。カルテット・フィデスのみなさんは子どもたちのためにと、クリスマスのオーナメントにかぶりもの、サンタの衣装とプレゼントまで準備してこの時に臨みました。お客さんにはとことん楽しんでいただきたい!という演奏家の心意気が表れていますね。
会場にはおよそ70名の子どもたちが待っていました。
生の弦楽器の音はきっと初めて聞くのでしょう、まばたきするのも忘れたかのようにじいっと見つめる子や、にこにこと笑顔を見せる子がいました。
フィデスのみなさんは『ようかい体操第一』『アンパンマンのマーチ』などなど、子どもが大好きな曲をたくさん用意してきました。
ときどき大合唱になって、子どもたちのまっすぐな声が会場に響き渡りました。演奏家は子どもの愛らしさに始終目を細めていました。コンサートが終わると、何人かの年長さんが「すごかった」「とてもじょうずでした」と感想を言いました。演奏家の周りに群がって、楽器についてあれこれ質問する子もいます。「この弦は細いから柔らかいんだね」「これ(糸巻き)は何をするの?」「馬のしっぽなの?」と、興味津々。演奏家は子どもの細やかな観察眼に感心していました。
園長先生の話によると、園児の約半分はまだ応急仮設住宅に暮らしているそうです。周囲への気兼ねから大きな音や声を出さないようにして生活しているので、「保育所に来ると発散しちゃうんですね。元気すぎるというか、とにかくにぎやかで」と先生は言いました。子どもたちがのびのびとすごせる環境が早く実現することを願うばかりです。
みんな、風邪引かないようにね、また会いましょうね。午後は気仙沼中学校住宅を訪れました。中学校の校庭にプレハブ住宅が立ち並び、現在85世帯が暮らしています。ここで復興コンサートをやるのは初めてです。この仮設住宅の自治会は平穏な日常生活を最優先にする方針だったので、イベントをやる習慣がなかったそうです。今回、はたして受け入れてもらえるだろうか、もしかして誰も来ないかもしれない…と心配になりました。が、いざ蓋を開けてみれば、15名の方々が集まり、ほっとしました。
昨夜の旧新城小学校住宅での宴会のような盛り上がりとは打って変わって、今日のお客さんは静かにそおっと聴いている様子です。演奏が終わるたびに「ほうっ」という小さなため息が聞こえてきました。
冬にちなんだクラシック曲やクリスマスソングをひとしきり演奏したあと、「それでは、皆さんもきっと好きだと思われる日本の曲を演奏します!」と進行役の御供さんが言ったとき、小さな女の子がおかあさんと一緒にやってきました。それを見た御供さんは「あの子のために弾いてもいいですか?」と『さんぽ』を演奏し始めました。女の子はもじもじしておかあさんの膝の上で聞いていましたが、その後ぷいっと部屋を出て行ってしまいました。恥ずかしがり屋さんなのかな。
本編に戻って『宵待草』『北国の春』など懐かしの曲が演奏されると、ある人は体を揺らして拍子を取り、ある人は一緒に口ずさみ、またある方は身じろぎもせずじっと見つめて聴いていました。それぞれの「あの頃」に思いを馳せている様子でした。
続いて、「気仙沼に来ると、元気なこの曲を弾きたくなります」と、美空ひばり『港町十三番地』を弾き始めました。そこへ、さっきの女の子が戻ってきたのですが、なんとお母さんの手を取って踊り出したのです。音頭ふうの弾んだリズムに合わせてぴょんぴょん跳ね、ぐるぐると回ります。
会場にいた全員が目を丸くして彼女を見ました。うれしそうに、楽しそうに踊る彼女の姿にみんなが笑顔になりました。「やっぱり気仙沼で生まれた子だねえ」と誰かが言いました。
この町では、遠洋に向かう漁船が港を出るときに演歌を流して船を見送るのだそうです。そんな大人の姿を見ながら、子供たちは育っているんですね。
アンコールはもちろん『おいらの船は300トン』。みんなで一緒に歌いました。もともとは高知の漁師のことを歌った曲なのですが、遠洋漁業にたずさわる人が多い気仙沼でも愛されるようになりました。結婚式や壮行式などおめでたい席で歌われるそうです。景気よい歌声に合わせて女の子の踊りはさらに盛り上がり、大人たちも大喜びです。
「ほっこりコンサート」ツアーの最後は、ほっこりを上回るホットな高揚感とともに終演となりました。
ある初老の男性が立ち上がって「また来てくださいね、お待ちしていますから!」と笑顔で一礼して去りました。あるご婦人は「元気をもらいました」とささやくように御礼を言って去りました。多くの方が別れ際にお声を掛けてくださいました。どうもありがとうございます。
後片付けが済んで、住民の方数名と演奏家が一緒にお茶のみをしました。ふとした会話の中で、「復興は仙台一極集中だから…」「気仙沼はまだ慰霊碑もないんだよ」「あと10年くらい仮設が残るという話もあるね」という話が出てきました。
今朝うかがった保育所の子どもたちやさっきここで踊っていた女の子が大きくなる頃はどんな社会になっているでしょう。彼等に希望ある未来を手渡すことはできるのでしょうか。そのために音楽にできることがあるとするなら、それを求めて続けていきたいと思うのです。