お知らせ
陸前高田・追悼演奏会へ
- 2015.3.1
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宮城県との県境、岩手県南東部の一帯は気仙(けせん)地区と呼ばれ、陸前高田市、大船渡市、住田町が含まれます。《けせん「第九を歌う会」》は2007年に発足した市民合唱団で、震災から4年が経とうとするこの3月に追悼演奏会を企画しました。「ぜひ合唱団との共演を」とたっての依頼があり、仙台フィルメンバーが参加することとなりました。
合唱団員の中にも亡くなった方があり、今回の企画の立ち上げた事務局長の佐藤若子さんも港近くにあった自宅を津波で流されたそうです。
また、会場となった普門寺は身元不明のご遺体を長いこと預かり、現在も12柱のご遺骨を供養しています。陸前高田は津波で壊滅的な被害を受けたので、人が集まれる場所がいまだ物理的にない状態が続いています。今回の企画を聞いて普門寺の熊谷住職が会場提供を快く引き受けたのだそうです。
演奏会は「鎮魂~かのひとに捧げん~第一章」と名付けられました。あいにくの雨にもかかわらず、次々と切れ目なく人がやってきます。およそ150名が集まって、広い本堂はびっしりと人で埋まりました。この演奏会への静かな熱気を感じました。
黒い衣装に身を包んだ合唱団員70名が登場し、上田益作曲「レクイエム~あの日を、あなたを忘れない~」と「黙礼」からそれぞれ3曲を歌いました。福島在住の詩人、和合亮一の詩による「黙礼」では、観客にも合唱団員の中にも目頭を押さえている方が何人もありました。
続いて、合唱団と入れ替わって仙台フィルメンバーによる弦楽四重奏が登場しました。メンバーは昨日に引き続き、ヴァイオリン佐々木亜紀子さんと熊谷洋子さん、ヴィオラ梅田昌子さん、チェロ山本純さんです。
佐々木さんと熊谷さんと梅田さんは2011年6月にこの近くの米崎小学校と小友小学校を訪れて復興コンサートを行なっています。まだ避難所だった体育館にはブルーシートが敷き詰められて、支援物資が山積みになっていた時期でした。今日の再会に寄せて、「またお会いできてうれしいです」「みなさんのお顔が明るいので安心しました」と言いました。
「みんなが元気になるように、明るい曲を持ってきました」と、まずはメンデルスゾーンの「緑の森よ」を演奏しました。かつてこの町の海辺を縁取っていた何千本の松の、緑なす森の風景へのオマージュです。耳を傾けるみなさんの胸にはあの松林を渡る海風が吹いていたかもしれませんね。
次に、楽器や弦楽四重奏の仕組みの解説を加えながら、ルードヴィヒによる「ハッピーバースデイ変奏曲」が紹介されました。元気な行進曲ふう、悲しげな短調、アルゼンチンタンゴ調など、おなじみのフレーズが次々と表情を変えて出てきます。意表を突くアレンジに「あれがこんなふうになるのか~」と多くの方が興味をもって聴いていました。
進行役の山本さんが「復興コンサートではみなさんと一緒に歌うということを大事にしています。歌うと心も体も元気になりますからね」と言いました。陸前高田のご当地ソング、千昌夫の「北国の春」と日本の唱歌を集めた「ふるさとの四季」が演奏され、あるときは力強く、あるときはささやくような歌声で本堂はいっぱいになりました。演奏後は、演奏者から観客へ大きな拍手が贈られました。
弦楽奏のあと、合唱団とチェロの共演で「春なのに」という曲が披露されました。
これは陸前高田出身でウィーン在住の声楽家、菅野祥子さんが作った曲です。彼女自身も実家を津波で流されたそうで、はるか遠い異国の地から故郷を想うこの歌には、かつてこの町にあった何気ない日常の光景が織り込まれ、この町に暮らしてきた聴く人歌う人双方の心をふるわせていました。指揮者も涙ぐんでいたように見えました。
最後には、合唱団と弦楽と観客が一緒になって「花は咲く」を演奏し、歌いました。あの海に届け、と祈りながら。
終演後、「無理だと思っていたけれど思い切ってやって良かった」と事務局長の佐藤さんが笑顔で語りました。合唱団のみなさんも笑顔の花を咲かせています。
今回の演奏会には「第一章」とあります。演奏家たちもこれからのご縁を希望しつつ帰途につきました。地元の人が自分たちの力で元気になろうとする場に音楽で手助けできることがあれば、音楽をたずさえておうかがいします。どうぞお声掛けくださいね。(翌2日付の岩手日報に掲載されました)