お知らせ
ベルリンからの贈りもの
- 2015.3.19
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ベルリン放送交響楽団は1923年創立の由緒あるオーケストラです。メンバー有志から「2015年の日本ツアーの時に、東日本大震災で被災した方のために演奏をしたいのです」との相談が仙台フィル事務局へ寄せられたのは昨年夏のことでした。以来、復興センターは仙台フィル事務局と協働して、仙台市訪問コンサートのコーディネートを担当してきました。
あいにく氷雨が降る寒い朝、ベルリン放送響メンバー9名が仙台駅に降り立ちました。宮城野区まちづくり推進課に協力を仰ぎ、仙台市東部の被災地域を案内していただきました。通訳は復興コンサートでもお世話になっている石巻在住のピアニスト、藤井朋美さんが務めました。どうもありがとうございます。
まず、仙台市立中野小学校の跡地に建立された慰霊碑を訪れ、亡くなった方々の冥福を祈りました。その後、同じ中野地区に新設された津波避難タワーを視察。展示されている写真や最新防災グッズに興味を示しつつ、職員の説明を聴きました。
最後に、今日の演奏会場のすぐ隣にある応急仮設住宅を訪問しました。自治会長さんと住民の方がご自身の体験談を語ってくださいました。津波でご家族を亡くしたというご婦人の話に、ある楽団員は涙をこらえきれなかった様子でした。
「よかったら見て行って」と実際に住んでいる部屋を見せていただき、すべてがコンパクトなプレハブ住宅におどろいていました。
短い時間であわただしい視察でしたが、当時のまま放置されている家屋や荒れたままの土地、一方で着々と進む土地整備の工事現場や最新の防災設備、そして被災した方々の生の声を見聞きした楽団員はきっと多くのことを感じてくださったことでしょう。さて、コンサート会場となった高砂市民センターには開場時刻のだいぶ前からお客さんが詰めかけ、行列をなして今か今かと待っていました。その行列と駐車場の整理でスタッフもあたふたしています。
開場時刻となりドアが開けられるやいなや、お客さんが走り込むように入って来て、用意した200席があっという間に埋まってしまいました。市民センターの館長さんも予備の椅子を出すのに大忙し、「これはうれしい悲鳴ですね」と笑顔を見せていました。ステージの背景には大漁旗が飾られ、歓迎する意気込みが表れていました。
コンサートはハイドン『ディヴェルティメント』から始まり、『聖アントニーのコラール』へと続きました。厚い雲が垂れ込めるくもり空でしたが、天上から陽光が差し込むかのような明るさに満ちた音色でした。弦楽演奏者4名と木管演奏者5名が、曲に応じてさまざまな編成で演奏します。
続いては山田耕筰『からたちの花』です。やさしい調べにはらはらと涙をこぼす方が客席のあちこちに見うけられました。「私たちのために、日本の曲を弾いてくれている」という気持ちが、なおのこと心をふるわせたのかもしれません。
プログラムにはあえて曲名を伏せて「おたのしみの一曲」と記した次の曲が始まりました。聞きおぼえのあるイントロで客席は「あれ?」「まさか…」とざわざわし、それが『津軽海峡・冬景色』と判明した瞬間にはざわめきがピークに達し、客席にたくさんの笑顔がこぼれました。そっと手拍子する人、小さく口ずさむ人、「ああいいなあ」としみじみ聴き入る人、みなさんそれぞれに堪能していました。終わって、あるおじいさんが「いいあんべだ!(良い塩梅だ)」と叫んでいました。仙台なりのブラヴォーですね。演奏家と客席との距離が一気に縮まった感じがしました。
ハイドン『こだま』では木管トリオが客席の後ろに回って、ステージの弦楽と文字通りこだまのようなやりとりで演奏しました。お客さんは前を向いたり後ろを見たり、とサラウンド効果の愛らしいメロディを楽しみました。
『花は咲く』『故郷』では演奏に合わせて全員が歌いました。
おなじみ、「花は咲く」合唱団のメンバーも歌っていましたよ。
熱い拍手喝采の中でコンサートは終わりました。たとえ言葉が通じなくても、あるいは普段クラシック音楽になじみのない人でも、はるばる遠くからやってきた人たちが心をこめて演奏する生の音と熱い想いは確実に伝わるのだと感じました。お客さんは温かい気持ちを胸に、満面の笑顔で帰っていきました。終演後、市民センターの茶道サークルの方が感謝の意を込めてお茶をふるまいました。楽団員は茶室の設えや供される菓子、お茶の作法に興味津々。抹茶を見て「この緑色の粉はどうやって作るのですか?」「どこで買えますか?」と尋ねていました。
ベルリン放送響のみなさんは明日、静岡公演だとか。お忙しいツアーの間を縫って、こうして東北に足を運んでいただけたこと、被災地の現状を見てくださったこと、地元の人びとと交流してくださったこと、心より感謝いたします。またお会いできる日を楽しみに。Auf Wiedersehen!