お知らせ

「のびる希望コンサート」開催しました

2015.12.11

宮城県東松島市野蒜地区は東日本大震災の津波で壊滅状態になりました。現在、宅地造成工事が着々と進む一方で、多くの方がいまだに応急仮設住宅およびみなし仮設住宅での生活を余儀なくされています。野蒜まちづくり協議会では、震災後に復興部会を立ち上げ、住民主体で復興に取り組んできました。今回は、協議会の方と仮設住宅にお住まいの方がともに音楽を聴いて心豊かな時間を持ちたいとのご依頼で、復興コンサートをお届けに行きました。
15年12日11日復興支援Con-17180-東松島市野蒜市民センターJR仙石線の野蒜駅周辺はどんどん風景が変化しています。大雨の中、今日もショベルカーやブルドーザーが動いています。見上げるような高さに盛られた土の赤さがどんよりと垂れこめた灰色の空とコントラストをなしています。ここに人が住めるようになるには、まだまだ時間が掛かりそうです。
会場の市民センターは野蒜小学校の校庭に置かれたコンテナ状のプレハブの建物です。窓から見える小学校の校舎の入り口は板が打ち付けられて固く閉ざされたままです。
今日の演奏会は「のびる希望コンサート」と名付けられました。野蒜地区が未来に伸びゆくようにとの思いが込められています。
15年12日11日復興支援Con-17177-東松島市野蒜市民センター出演はソプラノ齋藤翠さん(仙台オペラ協会)、フルート山田みづほさん、チェロ明珍幸希さん、ピアノ掛田瑤子さんの4名です。なかでも翠さんはこの近所の出身ということで、特に出演をお願いしました。
朝からの強い雨と冷たい風で、はたしてお客さんは来られるだろうかと心配していたのですが、開場時刻を待ちきれない方が列をなし、用意した席はすぐに埋まって椅子を追加するほどで、50名を超える方が集まりました。
まずは翠さんの独唱と掛田さんの伴奏で、R.シュトラウス「献呈」、小林秀雄「落葉松」が披露されました。_DSF2957
客席にはまるで孫や親戚の娘さんを見守るかのような温かな空気が満ちていました。翠さんも故郷に錦を飾る嬉しさと意気込みを持って歌っているように見えました。
15年12日11日復興支援Con-17052-東松島市野蒜市民センター続いてはみづほさんのフルート独奏でシュテックメスト「歌の翼による幻想曲」が演奏されました。柔らかで温かくなめらかな音色が、聴いている人びとを静かにゆったりと揺らしていました。
チェロの明珍さんはいつもと趣向を変えて、昭和のフォークソングを用意してきました。「チェロの音はよく人間の声に近いと言われます。この曲に合うと思って、弾いてみたかったんです」と南こうせつ「神田川」をフルートとピアノの三重奏で演奏しました。15年12日11日復興支援Con-17071-東松島市野蒜市民センター
今日いらした方は60~70代の方がほとんど。この歌が流行していた時代はちょうど働き盛りの頃でしょうか。多くの人がしみじみと聴いていました。
コンサート後半はみなさんと一緒に歌うコーナーです。翠さんから「歌うときは口を縦に開けると大人っぽく美しく聞こえますよ」とアドバイスがあり、みなさんで発声練習をしました。やってみると楽しくなったようで「あははは」と明るい笑い声があちこちで沸きました。
冷たい雨の降るこんな日にぴったりの「ペチカ」、なつかしい歌謡曲「四季の歌」を歌いました。
この市民センターでは合唱の教室があるとのことで、上手な方がたくさんいました。演奏家のほうがびっくりしたぐらいに朗々と歌っています。15年12日11日復興支援Con-16996-東松島市野蒜市民センター
ここでちょっとしたサプライズが用意されていました。その合唱教室で教えている先生が、実はみづほさんのお弟子さんとのこと。「いつもは歌を教えていますが、本当はフルートなんです」と夢の師弟共演と相成りました。
続いて「東松島賛歌」を唱和しました。この歌は東松島市の市制施行5周年を記念して2010年に作られ、以来、地域の人びとに愛されてきたものです。15年12日11日復興支援Con-17120-東松島市野蒜市民センター
今回、まちづくり協議会の方から「ぜひこの歌を」とリクエストされていました。歌い始めた瞬間、その歌声の力づよさに圧倒されました。どの方もぴんと背を伸ばして、堂々と歌っています。その熱気と魂を込めた歌いぶりに感動しました。まちの人が一緒にうたえる歌があるということはなんと素晴らしいことかと、傍で見ていて、うらやましいほどの光景でもありました。歌っているみなさんがぐんぐんと元気になっていくように見えました。
高揚感と大喝采のうちにコンサートはお開きとなりました。今回の企画運営を担当した保健福祉部会の会長、川畑さんが最後にご挨拶なさいました。15年12日11日復興支援Con-17170-東松島市野蒜市民センター
15年12日11日復興支援Con-17168-東松島市野蒜市民センター「今日は11日、ちょうど月命日です。今日の演奏は、亡くなったたくさんの方々にもきっと届いたと思います」
本当にそうであってほしいと切に思いました。
演奏家たちはお客さんを出口でお見送りしました。握手したり感想を述べたりして、ちょっとした渋滞になるほどでした。
_DSF3297その中で或るご婦人が言いました。
「昔、合唱サークルに入っていたのだけど、震災でメンバーが何人も亡くなって、解散しちゃったのね。震災前に練習した最後の歌が『落葉松』だったのよ。だから今日あの歌を聴けて、いろいろ思い出しちゃった。不思議ね…」
単なる偶然と言って済ますには、ずしんと重いお話しでした。月命日のなせるご縁かもしれませんね。

_DSF3313すっかり片付けが済んで、まちづくり協議会のスタッフさんとお茶飲みしました。
お話しの中で、「○○さんは7回引っ越ししたんだって」「あら、私は4回」「あらそうだっけ」というやりとりがありました。ちょっとおどろいて詳細を訊ねてみると、避難所生活以来、さまざまな事情で応急仮設住宅を転々とさせられたとか。
「で、今度ようやく公営住宅に入ることが決まったの」と嬉しそうです。
「それはよかったですねえ。いつお引っ越しですか?」
「29年の秋」
「に、にじゅうきゅうねん!?」
思わず声が大きくなりました。野蒜地区は東松島市の中でも被害が大きすぎて、復興もいちばん遅れているとの話も聞きました。スタッフさんたちが朗らかにお話しする様子にたくましさを感じると同時に、やるせない気持ちになりました。
「また呼んでくださいね」と再会を約束し、帰路につきました。